ハバタクの丑田です。
2/6福島大学大学院東京サテライト開設記念フォーラムでの、アマルティア・セン教授(ノーベル経済学賞)の講演の要旨をまとめました。
(メモから呼び起した非常にざっくりな要旨のため、正確な文言ではないことをご了承ください)
実際の講演は、以下にUstreamがアーカイブされています。(英語)
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/3501
福島県は自分が生まれた故郷であり、福島大学は父の母校。
そしてアマルティア・センは、大学での研究時代に最も感銘を受けた人物の一人。
(研究会の大先輩が書いた「アマルティア・センの魅力を探る冒険」というエッセーがキッカケでした。センの生い立ち、彼の理論ができあがるまでが記された超良文! http://news.fbc.keio.ac.jp/~semiyk/01/sen.htm )
これは運命か!という巡り合わせの中、無事に抽選も当たってメイン会場に入れたので、参加してきました。
———————————————————————–
アマルティア・セン教授「東日本大震災からの復興 ?人間の安全保障をもとめて」
2012年2月6日(月)
主催:福島大学 (うつくしまふくしま未来支援センター)
共催:立教大学・政策研究大学院大学
(以下、講演要旨)
◆「人間の命に焦点を当てる」公共政策を
津波や洪水といった「自然災害」と、戦争などの「社会災害」があるとした場合、
前者は予防できないと考えられがちだが、
「ダムをつくったことで洪水が起きる」
「地震が起こりやすい場所に原発を置いたことで被害が出る」
といった関係性がある場合がある。
これは、歴史を踏まえながら事前にしっかりと考えPlanningすることで、予防できることがある。
そして、災害の結果、「雇用が減る」「スキルが劣化する」といった社会への影響は、公共政策によって対応していくことができる。
「人間の命に焦点を当てる」公共政策をとっていくことが不可欠であると思う。
これは哲学の話でもあり、倫理学の話でもある。
「Human LiveをRebuildする」
「Human CapabilityをRegenerateする」
この二つが重要。
◆「生存」「絆・コミュニティ」「尊厳」の問題に取り組む
①生存(Medical Problem)
まず第一に、医療上の問題に取り組むこと。
自分自身、18歳の時に放射線治療を受けた影響が今でも残っており、
それ以降医学に興味を持つようになった。
どこまでの範囲で、どのような対応をとるか、最優先で取り組んで行くべき。
②絆・コミュニティ(Displacement Problem。居場所)
そして、被災地からの退避によって、
「生活の混乱」「コミュニティの分断」が起こる。子どものいる家庭は特段に影響が大きい。
このような問題は世界でも経験がある。貧困や戦争など。
日本はこの問題には慣れていないかもしれないが、世界の経験を参考に対応していくことで、マイナスの影響を最小限に抑えていくことはできる。
③尊厳(Employment Problem。出番)
三つ目は、「雇用」の問題をいかに解決していくか。
ここには、市場原理に任せるだけではなく、「社会的なサポート」が不可欠である。
経済をいかに活発にするか、という問いに取り組んでいく必要がある。
◆グローバルに、倫理的で持続可能な世界を創っていく
原発、自然エネルギー、物質文明、Global Ethics、正解のない様々なテーマがある。
このような中で、「人間の安全保障」をいかに保っていくか。
一人ひとりが自由を得るために必要なCapabilityをいかにLearnしていくか。
バブル崩壊や原発事故が繰り返されるように、
人類には大きな出来事や学びを「忘却」しやすい側面がある。
この問題に対しては、
①体系立った研究(理論)
②政策(制度面)での実践
③国内・世界への発信(身近な人達にも)
のそれぞれをしっかりと行うことが重要。
福島大学での復興研究には、世界的にも重要な意味合いがある。
グローバルに、倫理的で持続可能な世界を創っていくこと。
悲観的にならず、時間をかけて研究し、対話し、着実に進めていけば実現できると信じている。
(以上)
———————————————————————–
自分が、多くの人々が、アマルティア・セン氏を好きになってしまう理由を考えてみました。
自身の原体験からくる価値観をしっかりと持ちつつ、経済学の視点から分析・実証しているところ。
学問の壁をひょいっと超えて、哲学や倫理学も学び、貪欲に研究・価値判断に反映させていくところ。
そして、これがすごく暖かくて優しい。
「経済学は数字だけを扱うのではなく、弱い立場の人々の悲しみ、怒り、喜びに触れることができなければそれは経済学ではない」
なんて言い切るのもシビレます。
アルフレッド・マーシャルがケンブリッジ大学経済学教授就任講演で述べた有名な言葉、“with Cool Heads, but Warm Hearts” がドンピシャに当てはまる人なんだと思います。
スピーチ後半に出てきた「3つの要素」(①理論、②実践、③発信)は、とても良い気付きになりました。
以下は、聞きながらぼんやり考えていた雑感です。
②政策(制度面)での実践
について、まさに今、ガバナンスのあり方や政策形成過程が変わり始めていると思います。
・公共と民間の二分ではなくて、統合が進んでいる。
・震災後には個人・若者から様々なプロジェクトが立ち上がり、素晴らしい成果を上げており、直接的・間接的に政策に影響し始めている。
トップダウンのガバナンスから、共創(Co-Creation)の要素を取り込んだガバナンスへ、という潮目にきているのだと思います。
政策形成過程の研究では、投票者を「合理的無知」(投票者は、合理的に行動する結果、公共政策には無知になる)と仮定して物事を考えたりします。
例えば、「消費税増税⇒ワルイ」「年金⇒ハタン」といったようなよく耳にする関係を、「本当にそうなの?」と自ら探究するよりも、日々の仕事で忙しかったり、休日はデートがあったり、、という合理的な理由から、その行動をとらない。
結果、手軽に得られる情報、理性よりも感情に訴えられた情報を自分の意見と考える。
ここに、「権力>正しさ」となる余地が生まれるという構図です。
このモデルにおいては、「フラットな立場で共創するパートナー」という要素は含んでいません。
かなり悲観的で、世の中をナナメから見た仮定ですが、それでもこれまでの世の中の動きを結構説明できてしまうのも事実でした。
こんな経済学的モデルの前提がガラガラ覆るかも、という時代になってきた。
この合理的な行動から外れて動くクレイジーな個人や若者(良い意味で「バカ者」!)が増殖してきたからです。(※写真はあくまでイメージです)
「バカ者」は、問題意識を感じたらしっかりと腹に落ちるまで学び、現場に足を踏み入れ、ちっちゃくてもまずやってしまう。
やりながら学んで、日々アップデートしていく(検証的実践者、アジャイル型アプローチと呼んだりもします)。
その過程で、共感してコミットメントしてくれる仲間がどんどん増えていく。
ここ最近、NPOへの就職、大企業に勤めながらもプロボノで休日に活動する、といった動きも増えてきました。
こういった「バカ者」が、ITのおかげで色んな人の目に触れるようになりました。
この潮流が加速していけば、政策形成の決め手は「権力>正しさ」ではなく、「権力<正しさ」となっていくはずと、楽観的に考えています。
一方で、
①体系立った研究(理論)
からのバックアップも欠かせない。
精神論や机上の空論ではなく、一歩でもより良い未来に進んで行くための土台になります。
思考が深くないとそもそも広がっていかないし、万が一間違った方向性で広がっていった場合、「ごめんなさい」では済まない場合も多いです。
自分自身、大学時代ほどどっぷり時間を使うことはできないけれど、それでも実践の中で、書籍や論文を元に考えたり、その分野を研究されている方とタッグを組んで取り組んでいくことはできる。
これは改めて意識していこうと感じました。
①理論と②実践(現実社会)の狭間には、物事の「軽重是非」という視点が出てきます。
何が望ましいかという、価値判断が伴ってくる。
だからこそ”Cool Head”だけじゃなくて、”Warm Heart”が必要で、センも経済学者として活動する中で、数年間脱線してまで倫理学・哲学を学びに行ったり、毎年かなりの頻度でインドに帰国していたのだと思います。
最後に、
③国内・世界への発信
については、情報技術・ソーシャルメディアの進化がレバレッジしていきます。
想いを持った「個人」がどんどん情報を発信し、世界中の個々人が繋がっていく。
規模もスピードもこれまでにない速さで駆け巡っていく。
本当にすごい時代になったと思います。
同時に、セン氏はスピーチの最後に「学び考えたことを、身近な人達にも共有してみてください」
と述べていました。
生身の身体でリーチできる(ジョジョでいう近距離パワー型)範囲での活動はいつの時代もスタート地点。
これからの個人と世界の成長のあり方は、個人名対個人名の最小単位の対話から形創られるんだと思います。
①理論、②実践、③発信、の3つをセットで推進していくことを、これからのハバタクの活動の中でも意識していきたいと思います。
丑田俊輔