1年ぶりのヤンゴンへ
6月30日、ヤンゴン国際空港に降り立ちました。ヤンゴンに来るのは実に1年ぶりのこと。
昨年来、ミャンマーは民主化施策を次々に打ち出し、目まぐるしい変化を遂げていると聞いていました。
今回の訪問は世界中の耳目を集めるミャンマーの今を自らの肌で感じることが目的でした。
ヤンゴン国際空港は決して大きくはないですが、まだ新しく清潔です。
ぴかぴかに光る白い床をきゅきゅっと音を鳴らしながら出国ゲートに向かうと、目に飛び込んできたのは・・・人、人、人、黒山の人だかり。
皆、そろいのTシャツに赤い鉢巻、手には赤い旗をもって興奮した顔で何かの到着を待っているようでした。人だかりは空港内に留まらず、空港の外、タクシーのロータリーからさらにその先の市内に続く沿道にまで延々と続いてました。
何事かと尋ねると、あの人(the Lady)が間もなく帰国するという。
ミャンマーであの人と言えば、そう、アウンサン・スーチー( Aung San Suu Kyi)さんだ。
空港を埋め尽くす人たちは、この民主化の旗手スーチーさんの欧州歴訪からの帰国を今や遅しと待つ人々だったのだ。
人々の頭に巻かれた鉢巻きや赤い旗には、彼女が率いる政党、全国民主連盟(NLD=National League for Democracy)を表す黄色い星とクジャクが染め抜かれていました。
これは好機、と得意の現地化能力※をいかんなく発揮し、スーチーさんのブロマイドシールとNLDの旗をミャンマー人から入手し、ミャンマーの人々とスーチーさんの到着を待ちました。
※僕にはASEAN各国で現地の人に間違われるという特技があります。
アウンサン・スーチーと軍事政権
世界で最も有名なミャンマー人、アウンサン・スーチー。
彼女は何故ミャンマーの人々をここまで熱狂させるのでしょうか?
軍事政権と彼女の関係を駆け足で説明させていただきますと・・
1962年以降、ミャンマーは軍事&社会主義体制を敷いてきました。
しかし、軍事政権は経済政策に失敗し、国民の不満は高まり、民主化を求める動きが強まります。
そして、ミャンマーの独立を率いた建国の父アウンサン将軍の娘であるスーチーさんが民主化運動のリーダーとして登場。一気に人々を惹きつけます。
こうして民主化運動は大きなうねりとなり、ついにはスーチーさん率いる国民統一党が総選挙(1990年)で軍政を抑えて圧勝したのです。
しかし、これで一安心と一息つく間などありませんでした。
軍事政権は選挙結果を認めず、民主化勢力の弾圧を続けたのです。
民主化を扇動したとして、スーチーさんは軟禁生活を強いられてしまいます。
こうした非民主的な政治体制や人権抑圧を理由に、米国をはじめとする諸外国によって経済制裁が課せられたのです。ミャンマーは世界経済から孤立し、1990年時点でベトナムと同等だった経済規模も、その半分以下の水準で停滞してしまいます。
中国や北朝鮮との関係が取りざたされることが多いですが、経済制裁を受けたミャンマーが生き残っていくためには、それらの国に歩み寄っていくしかなかったのです。
長らく続く軍事政権下では、ミャンマーの人々は言論の自由の制限など、時に苦しい状況を強いられてきました。
そんな中、軟禁されながらも、民主化の声を上げつづけたスーチーさんは、圧政下の人々にとって一筋の希望でした。
こうした彼女の取り組みと諸外国の圧力が効を奏し、2011年3月に国家の権限は軍部からセイン新政権に委譲され、軍事政権は終わりを告げたのです。
セイン政権は矢継ぎ早に民主化政策を打ち出しました。
そして2011年、スーチーさんは1989年から度々続いた軟禁生活から解放されたのです。
2012年4月に行われた補欠選挙では、スーチーさん率いるNLDが候補者を立てた44議席のうち43議席を獲得しました。
民主化の旗手がついに国政に参加することになったのです。
※スーチーさんの半生がリュックベッソン監督によって映画化されています。
「The Lady」
熱狂する人々、民主化のこれから
・・・到着予想時刻から遅れること約1時間、ついにスーチーさんが姿を現しました。
人々の興奮はピークに達します。
入国ゲートを抜け、人々の前に姿を現したスーチーさんを一目見ようと、一気に人々が押し寄せました。我先にとスーチーさんを取り囲む人々のエネルギーはすさまじく、スーチーさんを迎え入れる人々のつくる花道に陣取っていた私は、あっという間に弾き飛ばされてしまいました。
何がここまで人々を熱狂させるのでしょうか?
ミャンマーと言う国に行くと、町中には緑が生い茂り、意外と物も行き渡っており、人々の暮らしはそれなりに豊かなようにも見えます。
軍事政権によって抑圧された人々、民主化を望む人々のイメージがなかなか持てません。
しかし、この人々の熱狂、民主化の声を聞くと、彼らを動かす何かが、これまでそして今も根強く残っているのだと言うことを肌感覚で分かった瞬間でした。
スーチーさんの人気は絶大なものですが、その一方で次のような声も聞かれました。
「彼女の求心力、民主化のアイコンとしての魅力は絶大なものがある。しかし、彼女は政治家ではない。米欧へ民主化をアピールするマスコットとしての役割を担い、改革の実行は他のものに任せてほしい。」
彼らの望む民主化とは何か。スーチーさんはこれからも民主化の旗手として、ミャンマーの改革をリードしていくのか。
このミャンマー記を通して、ミャンマーの人々の想いに触れていきたいと思います。
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