スマホを捨てよ、町へ出よう


シンチャオ、小原です。

2013年9月を持って弊社も4期目に突入いたしました。
国境を越えた共創プロジェクトや国内の学び環境のイノベーションなど、多くの方々と共に色んなことにチャレンジしてきました。
そんながむしゃらの3年間を経て、これからハバタクが目指す世界観・生き方に対する考え方が少しずつ形になってきました。

人々が抱える怯えと関係性の中の自分

いまぼくがひたすら望んでいることは、存在すること(to be)なのだ。
どうか忘れないでほしいが、この不定詞は中国語では”他動詞”なんだよ。
ヘンリー・ミラー / 南回帰線

「強い個から関係の中の自分への回帰」というのがひとつのテーマになると思います。

高度経済成長期以降の日本ではひとりひとりが強い個になることが求められてきました。ひとよりももっとたくさん働いて、”えらく”なることで、より多くのモノやカネを手にすることができました。強い個になり、強い個であり続けることを社会から求められ、それこそが幸せだと自らに言い聞かせてきたのです。

しかしその結果、家族やコミュニティとの繋がりが断たれ、人々は徐々に孤立し、孤独を感じはじめました。自分だけで出来ることに限界を感じ、先行きが見えないことに対して、心細さや覚束なさを感じたりしていないでしょうか。多くの人が、得も言われぬ不安を感じながらも、一度上がったら降りられない螺旋階段に登ってしまっている状態なのではないかと思うのです。だからこそ、ソーシャル・ネットワークによって人とつながることによって安心感を得ようとしているのではないでしょうか。

皆、怯えているのです。

また、そうした覚束なさや不安感の原因の一つは今の消費スタイルにあるように思います。
地球上にある資源が有限であることは誰もが知っているところです。
しかし、経済成長によって得られる「豊かさ」を追い続けることで、少し先の未来・次世代のことについては見て見ぬふりを決め込んできました。ところが恐れ・怯えというのは見ないようにすればするほど、却って気になるもので、いつしか目を背けることが出来なくなってしまったのです。

このような怯えは企業の事業活動においても同じです。
コスト削減が競争力を生むと信じ、労働力の安い市場へ次々と拠点を移していく。そのようなある種の焼畑農業的事業の行き着く先に明るい未来が見えなくなってきています。

個人も法人も、自分が強く在るための消費対象としての他者、社会というスタンスからの脱却へが強く求められていくと思うのです。
Customer Shared Valueコンシャスキャピタリズムと言った企業姿勢が取り沙汰され始めているのもその好例です。

結局のところ、人は一人では生きられず、より持続的な生き方・事業展開をするためには、生き物として関わるすべての人・環境と「うまくやっていく」ことが必要不可欠で、そうした人との関係を通じて自分自身の立ち位置を見出していくことが重要なのかなと思うのです。

コンテクストを理解する力

では、どうやって関係の中の自分を取り戻していくかというと、ハバタクが創業時から言い続けている「共創する力」を身につけるということだと考えています。

共創とは簡単に言うと「二人以上と一緒にうまくやっていく」ことです。

かつては「二人以上」の構成はほとんど日本人でしたが、これからの時代はより多様な人達とうまくやっていかなければいけません。

しかし、このうまくやっていく力というのはそう簡単には身につきません。
相手の発した言葉だけでなく、その人の表情や振る舞い、その裏側にある文化や歴史にまで思いを馳せなければいけないのです。
日本人同士なら、なんとなく言わなくても通じ合える・分かり合えるハイコンテクストなコミュニケーションが、国境を越え、文化や言語体系が異なってくると成立しないのです。
去る2013年9月にベトナムの首都ハノイで日越の大学生を対象とした越境型ビジネス創造ツアーを行いました。
「ベトナムの社会課題を解決するビジネスプランを考える」というテーマに対して、両国の学生がOne teamとなって取り組みました。
7日間にわたり、町に出て人々にインタビューしたり、部屋の中でアイデア出しをしたりと様々なアクティビティを行いました。

その過程で、日越両方の学生が互いの言っていることやその行動が理解できず何度も苛立ちの表情を浮かべているのを見かけました。
「なんでこの人達はこんなことが分からないのか?」
「え、これを説明しないとわからないの?」
と言った具合に。

会話のツールとしての英語力には差はありません。ツアーの課題に即した専門性の違いでもありません。
そこにあったのはコンテクストの違いです。

コンテクストとは、ある人の根底にある社会的な背景や成育過程で身につけた考え方の基盤です。表面上は言葉や表情、立ち振舞に現れますが、それはあくまで氷山の一角。本人にすら意識されていないことさえあります。

このコンテクストの違いを理解し、それを受け入れられる力が「二人以上とうまくやっていく力」なんだと思います。

コンテクストを理解することは、その人が「どういう関係性の中に在る人なのか」を問うことと同義です。
そして、これを問う力は教科書では学べません。実際にコンテクストの違いに戸惑い、それを乗り越えるという成功体験を積み重ねるしかありません。
なぜならコンテクストというのは多分に非言語的な要素が多いからです。その人の表情や立ち振舞、所作。そういった情報を全神経を使って受信・統合し、相手の発しているメッセージやその背後にある感情(時にはその人自身にも意識されない)、思考のクセを受け入れる経験が必要なのです。

そういう経験をしている人とそうでない人の差がこれからの時代の生き方の差になるだろうと思っています。

コンテクストの違いを乗り越えた経験のある人、より多様な人々と接する機会が増えるこれからの時代においても、違いがあることを前提とし、その背景を読み取り、よりよい世界の実現に向けて物事を前に進めることが出来るようになるからです。

そうなれば、コントロール出来ない社会システムの中で生きる不安や、個であることによる怯えからは解放され、自らが主体的に周囲と関係を構築し、そうした人たちと繋がっている・理解しあっているという手触りを感じながら生きていくことができるのです。

見る前に飛べ

先に述べたようにこれからの時代をいきいきと生きていくためには「二人以上とうまくやっていく」、つまりコンテクストの違いが理解できるようになる必要があります。

また、そうしたコンテクストの違いと上手くやっていくことそのものが「関係性の中の自分」を取り戻すことにほかならないと思います。

そういう人たちがもっともっと増えてくれば、世界は今よりももっと良い方向へ向かっていくでしょう。
それがハバタクが目指すCo-Creative Worldです。

グローバル人材だろうが何だろうが呼び方はどうでも良いのです。
教科書やインターネットからは学べないことが、これからの時代のキーなのです。

未来を生きた人はまだ誰もいません。
周りの意見は気にせず、自らの心の声に耳を傾け、自分の足で外へ飛び出しましょう。

見る前に飛べ、です。

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