【小原の読書メモ】


小原が最近読んだ本を徒然なるままにご紹介。

ジャンルを問わず節操無く読みあるいています。

「還るべき場所」笹本稜平


世界第2の高峰K2登山時にパートナーを失った主人公。
失意の4年を経て、再び山と向かい合う。生存限界を越えた8000メートル超の世界で人間は何を想うのか。

登山とは命を失うことがルールに組み込まれている唯一のスポーツだという。
そのルールを了解した上で、登山家が極限に挑み、むき出しの感情と向き合い、生を見出していく様がリアルに描かれています。
日々の生活では味わえない極限の状態を追体験できるので、山岳小説(主に新田次郎)は昔からよく読んでいました。この著者の作品は「その峰の彼方」以来2冊目。
主要人物が次々と山で再会する様子はちょっと出来すぎかな?と思うけれど、過酷な環境での人々の心理描写が見事に描かれていて、一気に読んでしまいました。

「赤猫異聞」浅田次郎


浅田次郎版走れメロス?
かつての日本では、火事が起きた際に罪人達の命を守るために一時的に彼らを解き放つ習わしがあった。火事がおさまればまた牢屋敷に戻ること、そうすれば減刑する、さもなくば地の果てまで追いかけ死罪に処す。
時は明治元年、火の手の迫る伝馬町牢屋敷から解き放たれた罪人たち。とりわけ罪の重い3人は一蓮托生。「三人のうち一人でも戻らなければ戻った者も死罪、三人とも戻れば全員が無罪」

幕末から明治へと大きく時代が動きました。
時代の変化に伴い、人々の暮らしや価値観も移ろいます。そんな中、自身の譲れないもの、「矜持」を抱き続ける人間のもどかしいほど不器用な生き様に心打たれます。
今の自分にとっての「矜持」とは何かを問いなおすきっかけになりました。

「されど われらが日々――」柴田 翔


第51回芥川賞受賞作品。
1955年共産党第6回全国協議会(通称、六全協)以降、共産党の活動に共感して活動し続けてきた若者たちは虚無感を覚えながら、それぞれの人生を歩んでいく。
60〜70年代の若者のバイブルとなった青春文学。

期せずして、赤猫異聞と同じく、主人公たちのパラダイムを大きく覆した出来事の前後を描いた作品を手に取りました。
青春をかけ信じ続けてきたものが、ある日突然足元から崩れ去る。今までの自分はなんだったのか、あの日々とはなんだったのか・・皆それぞれに苦悩し、それぞれの手段で区切りをつけていく。。そうした体験をいくつも経て、人は成熟していくのでしょうか。
当時の空気は想像するしかできませんが、その時の若者の生々しくも激しい心の声が聞こえてくるような作品でした。

「ダライ・ラマ 科学への旅」ダライ・ラマ


各分野の先端をいく科学者との対話を通じて得られた知見を、ダライ・ラマが自身の仏教の知識・経験と照らし、科学と仏教の融和の可能性を探る知的な旅に誘ってくれます。

進化論、分子生物学から相対性理論や量子論などなどダライ・ラマの科学に対する知見の深さにとにかく驚嘆させられました。
個人的に印象的だったのは仏教の「空」の概念。すべてのものは独立して存在するのではなく主体と客体の関係の中にあるという。これは複雑系に通ずるもので、これからの時代に重要な概念だな・・と。

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